電子の砂漠を越境するアラビアの魂と肉体
Kill Me or Negotiate
Abdullah Miniawy & Simo Cell
エジプト、紀元前3000年から5000年を経た現在でも文明の最前衛に建つ国。アフリカ大陸とシナイ半島の軋轢を両端に抱えながら、西欧文化のハブとしても機能してきた。人為的に引かれた(分断された)直線の国境線。宗教・オイルを巡る果てしない戦争。数多の人類の業に苛まれながらも、数千年にわたって世界都市の役割を担ってきたのは地政学的条件と、交易拠点ゆえの文化的多様性(流動性)に拠るものだ。Abdullah Miniawyは、その重層的な歴史と最先端のテクノロジーを結びつけた、現在のエジプトを体現するアーティストである。彼は1994年、古典アラビア語の大学教授であった父親と心理学者の母親の間に、サウジアラビアで生まれた。学校には行かず、教育は両親から受けたという。2011年、17歳の彼は家族と共にエジプトに移住する。そこで”エジプト革命”に至るカイロでの動乱に遭遇し、エジプトのラッパーAly Talibabとの出会いを契機として独学で音楽を学びバックトラックを制作するようになる。同時にスーフィズム(イスラム神秘主義)に傾倒していき、イスラム的詠唱(アザーンではない)をこれも独学で習得する。マイルスの影響も感じさせるトランペット、電子楽器を用いた音響制作といった音楽的な表現と併わせ、詩人、映画俳優としても活動する。
ここ数年アラブ圏のエレクトリックを駆使したアーティストの活躍が目覚ましいが、Abdullah Miniawyが特別なのは肉体性を強く感じさせるところだ。チャントはもちろん、トランペットという息づかいを聴くものに強く喚起させる純音楽的才能。そして、本作のタイトル”Kill Me or Negotiate”にあらわれている詩作の多義性(アルバムのカバー裏には歌詞の英訳が記されている)。普通の日常を送る人ならば”Kill Me”と”Negotiate”の二者択一を唐突なものとして、あるいは恋人同士のジョークとして捉えるかもしれない。しかし、アラブ諸国に住む者にとっては痛切なまでに現実的な言葉だろう。”Kill Me”から”Negotiate”へと至る、暗澹たる距離感。この距離感こそが、西欧諸国の日常とアラブ諸国との距離感なのではないか? などと、聴く者に深く考えさせてしまう時点で彼は詩人としても優れている。カバーアートは砂漠の中に置き去りにされた切り落とされた黄金の足首だ。だが、心配はいらない。彼の魂と肉体は今、ベドウィンの様に電子の砂漠を越境している。彼の音楽はケンドリック・ラマーと同じくらいの気安さと注意深さをもって多くの人に聴かれるべきだ。2020年代を象徴する重要なアルバムの一つだと思う。必聴。
Whities 023 (The Act of Falling from the 8th Floor)
Carl Gari & Abdullah Miniawy
2019年、ドイツのエレクトリック・ユニット”Carl Gari”との共作アルバム。”8階から投身する者がその瞬間見た光景”がCarl Gariの4ADのような暗いバックトラックとAbdullah Miniawyのチャントで表現される。暗く重い作品だが、興味のある人は是非。
Downer Honor
Abdullah Miniawy
2018年発表のソロアルバム。アラビア的要素を余り感じさせない現代的なエレクトリック・ミュージック。彼の多才さを知りたい人は要チェック。